>全開出来なかった騎手に対して結果論から正しい論理の批判は可能ですが、>事前には想定しきれないことですから現実性がありませんよね。実際問題として、“騎手だって馬の能力の全てを把握できる訳ではない”ということが頭にあるかどうかが考え方の違いになるんだと思うんですよ。騎手が皆、自分の乗ってる馬、そして周りの馬の能力を全て把握できていたら、たぶんよく言われるダメなスロー競馬というのにはなりにくいと思うんですけど、現実的にはそれは不可能ですからね。それを生業にしてるのなら“把握しろ”とも言いたくなりますが、天才といわれる騎手ですら、“4角まわった時は勝ったと思ったのに・・・”みたいな発言をすることを考えると、実際に馬の能力を全て把握することは不可能なのでしょう。騎手たちは皆、そのわからない能力を探り探り乗ってる、ということを認識していると観方も変わってくるんではないか、と。確かに騎手の乗り方などで負けたというレースもあって、実際にお金を賭けている方は腹もたつかもしれませんが、騎手も負けようと思って乗ってる訳でなし、その結果はあくまでも結果で、それを批判するより次のレースへの判断材料にするべきなんでしょうね。