さすがに今回は疲れたので、こちらに。誰が該当する等の話ではありません。あしからず。≪議論の名を借りた予定調和≫WBではルールについては議論でとなっていますが、機能しているのかと問えば、そうともいえないようです。ネット利用者の多くは、合理化マシンに即効性・敏速性を求める。で、議論をしても1、答えを早急に求めたがる2、分かりやすさが大手を振るう3、要点は書くが詳細は書かない4、詳細を書くと、誤解されたり話題が逸れる5、主観で発言すれど、異なる声或いは理解出来ない声には理解する労力は示さない(考えはさまざま論に収束!?)6、解答の出ないことは不毛とイコールにする7、ディスカッションで最も重要な多元性が拒否される8、解答は常に凡庸なものへ言い換えれば、議論なんて無駄。議論不可と何処が違うの?となる。当初からそのように理解しながら、度々首を突っ込んでは、個人的な主観を捨ててあえて少数派の立場に立ってきた者の実感だ。退治すべきは?出来る事からとなれば、杜撰な手口の荒らし投稿者か。明文化しやすいので退治せよ!これが今回のアク禁ルール。妥当な案に収束し、それなりの効果を上げるだろう。しかし、それは誰にでも思いつくこと。その点で杜撰な荒らしなど、問題以前と言える。問題は大手を振って生き残るもの。これはサイトに限らない。その解決法はどうするのだろうか?御馴染みのマナーに任せる論に収束されるのだろうか?そのとき議論は機能するのだろうか?◇ 02/12/31(火) 05:19 編集