White Board II 別館
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[3]. 日々雑談
|| POPER ID:46c1eec 07/04/05(木) 23:06

プロ野球が開幕している。田中投手のことで思い出したのが、WBCだ。
WBCでの日本の強さは何だったのか考えてみるとどうしても甲子園という舞台に求められると思う。
というのは甲子園というのは誰もが憧れて負けたら最後という舞台なのだから、これは日本の野球を育てているのは間違
いない。しかし甲子園の残酷さを分かるのはそれを経験しなければ難しいだろう。と同時に勝ち進む歓喜の味わいも経験し
たものでなければ分からないと思う。野球を楽しむというかエンジョイの精神は元々、そこには本来ない。監督や選手は必
死になって野球を練習し上達する。その毎年のサイクルが日本の野球を育ててきた。そこで勝ち上がってプロになって球界を代表する選手は修羅場を乗り越えてきた人間たちだ。彼らがWBCを勝ったことは日本が育てた根性論の結果に違いない。何にしてもまず根性だという昔の?考えは今は嫌われるが、日本の野球を育てたものは何かと聞かれると日本人の生真面目さというか泥臭さだとしか答えようがないのではないか。個人のレベルにおいてそんなものは些細だが、長い時間、言い換えれば豊かな時間が日本の野球を育てたとしか思えない。そこで果たす甲子園の役割はいかに大きいか。

もう一度夢の話をしたいと思う。夢というのはすごいものであり得ないことが起きているのに、気分はすぐれて現実的なの
だ。ようするに圧倒的に現実過ぎてぶっとんでいる。これが実はモーツァルトである。ないものを感じ、あり得ないものを聴き取り、考えられないようなことを考える。できないことができてしまうような感じになるのが音楽の魔法なのであるがベートーヴェンは違う。彼の音楽は呼吸しているのである。自分が呼吸している夢なんてあり得ないと言ってみよう。呼吸を感じ取ったらもう夢ではなく現実だという意味で。ならば彼の音楽は現実に踏みとどまるのである。いわば空気との対話であって一度旋律が走ると旋律に対して空気が動く、ざわめく。その動きを吸い込み、そして今度は空気に吸い込ませる。その繰り返しがベートーヴェンだ。一度捕まえた空気を離さない。しかし一度呼吸し呼吸された空気は決してどれも同じでない。その結果夢のような音楽はなくなる。が、そこから圧倒的な現実感、現実しかないような恐ろしい立場を離れられない気分が生まれる。そこに何を感じ取るか。喜び、悲しみ、しかしそれらの感情は夢のように圧倒的ではない。現実そのものであって逃れられないその生きているという実感である。
07/04/05(木) 23:26 編集

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