梅雨とともに失恋から立ち直りつつあります。最近聞いているのは、モーツァルトのセレナード第10番グラン・パルティータ。分け入っても分け入っても青い山という種田山頭火の俳句がありますが、この曲にはまさにそんな風情がある。山頭火はどんなつもりでこの詩を書いたのでしょうか。私には次のように思えます。青い山は輝かしく精気に満ち、何らかの真理を含んでいることには違いない。しかしそんなものは追っても届かないものである。結局人は家族に戻り、世俗的な快楽を求める。モーツァルトのこの曲は自然の精気と人間の精気が入り混じっている点で山頭火の詩と同じだ。しかしモーツァルトのすさまじいところは、最終的にこの2つが見事に調和するところである。結果的に、この曲を聴く人は世界を眺望した錯覚に陥る。森を超え、滝を見た後、その次に見る風景は見えない。だからこそ見たことのない世界を見た気がする。それは勿論精神的な世界である。