私は飛行機が乗るのが好きで、将来の夢は世界中を旅して周ることだ。飛行機が好きになったのは、恐らく乗り物として一番最後であろう。3歳のときにミニカーを好きになって、その影響で救急車が好きになり、いつかレスキュー隊になりたいと思いながら、電車も好きになり、いつか車掌になりたいと思うようにもなった。乗り物といえば、たくさんある。自転車、馬、車、船、電車、飛行機。その一つ一つに思い出があり、それぞれに私の大事な記憶が刻み込まれている。その中でも最も好奇心が掻き立てられたのは言うまでもなく飛行機だ。初めて乗ったとき衝撃的だった。離陸した瞬間、これはジェットコースターだと思った。そしてみるみる加速していくうちに今までにない慣性力を感じた。あの感動はもう薄れてしまったが、大人になると飛行機に乗れる幸せが分かってくる。スピッツに「空も飛べるはず」という曲があるが、人は自力でないにしろ、空を飛んだのだ。この感動は大人にしか分からない。去年羽田から福岡に向かう飛行機から富士山を眺めた。なんと富士山の小さく、白いことか。そして美しかった。山が生きているように見えた。私はそれで富士山を一気に好きになってしまった。そしてそのときの飛行機と人との一体感。風も空気の薄さも、雲のやわらかさも、太陽の輝かしさも、家庭の温かさも、地球の大きさも、何もかもが新鮮でそれでいて真実だ。世界観が変わるとはこういうことを言うのだろう。競走馬も飛行機で運ばれる。パイロットは着陸のときに衝撃を与えないように、非常に神経を使うらしい。パイロットはクリスマスの日に管制官と次のようの挨拶をするのである。「メリークリスマス」「サンタクロースのソリをよけるために360度に変針」「了解」人は空を飛んだ。飛行機にのれる時代に生きれた幸運を私は生涯手放さないだろう。